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ヘムステッド()は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の南東部、ナッソー郡の町である。同郡の南西部を広く占めており、郡内3つの町の1つである。町内に22の法人化された村が、その全体あるいは一部が入っている。2010年国勢調査で町全体の人口は759,757 人だった。ナッソー郡の人口(2010年時点で1,339,532人)の半分を超えており、ニューヨーク州の町では最大である。町の中に同名のヘムステッド村も入っている。その人口は2010年時点で53,891 人であり、これもニューヨーク州最大の村である。 ヘムステッド町を市に法人化した場合、人口ではニューヨーク市に次いで州内第2位である。現在第2位の都市であるバッファロー(2010年時点で261,310 人)を上回っている。国内の都市と比較しても第16位に相当し、オハイオ州コロンバスとテキサス州フォートワース市の間に来る〔ニューヨーク州の町(town)は、その下位の自治体である村(village)と集落(hamlet)の集合体であるため、単一の自治体とはみなされておらず、都市人口の順位にも数えられていない。〕。ヘムステッド町の人口密度はコロンバス市やフォートワース市よりも高い。 == 歴史 == ヘムステッド町となった地域では、イングランド人開拓者ジョン・カーマンとロバート・フォーダムが1643年にレナペ族インディアンと条約を結んだ後の1644年に、初の入植が行われた。その開拓者達はイギリス領コネチカット植民地から来ていたが、開拓者が地元インディアンから土地を購入した後に、ニューアムステルダムから特許状が発行されていた。この取引の様子はヘムステッド町役場の壁画に描かれており、それはヘムステッド・ビレッジ創設300周年を記念するポスターから再生されたものである。 1640年代やその後のオランダ語による文書では、町は常に「ヘームステーデ」("Heemstede")と呼ばれていた〔J.A. Jacobs, ''The Colony of New Netherland: A Dutch Settlement in Seventeenth Century America'', Cornell University Press, Ithaca, pages 87, 268 , 273-4〕。ヘンプステッドに発行された最初の50通の特許状のうち幾つかはオランダ語であり、その町名はオランダの城あるいは町のヘームステーデから採られたことを示唆している。ヘームステーデはハールレムやアムステルダムの近くにある。しかし共同設立者のジョン・カーマンが出した町名を、役人がオランダ語化した可能性がある。カーマンは1606年にイングランドのハートフォードシャー、ヘメル・ヘムステッドで生まれであり、そこは13世紀以来カーマンの先祖が所有していた土地だった。 1664年、新しくニューヨーク植民地となったこの開拓地は、デュークス法を採用した。この法は多くの植民地の法が設定されることになる基本となった厳格な法体系である。ヘムステッドは「ブルー・ロー」(厳格な法律)を採用した結果として、しばらくの間「オールド・ブルー」と呼ばれるようになった〔。 アメリカ独立戦争のとき、町内南部のロイヤリストと北部のアメリカ同調者が分裂して、1784年にノースヘムステッドとサウスヘムステッドに分かれた。1898年ニューヨーク市の一部としてクイーンズ区が法人化され、1899年にはクイーンズ郡が分かれてナッソー郡が作られ、ヘムステッド町の南西部が町から分離してクイーンズ区の一部になった。 ヘムステッド生まれのリチャード・ヒューレットが、アメリカ独立戦争のときにオリバー・ド・ランシー将軍の下でイギリス軍の中佐を務めた。その後、ヒューレットが他のロイヤリストと共にアメリカを離れ、後にカナダとなる土地に新しく作られたニューブランズウィック植民地に入った。セントジョン川のロングアイランドに隣接するクイーンズ郡で、そこの開拓地がヘムステッドと名付けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘムステッド (ニューヨーク州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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